2017.11.15

土の哲学

 子どもをつれて、知り合いの農家に収穫体験にでかける。おだやかな秋晴れの日で、凪いだ空にゆるゆると雲がながれていく。畑について早々、靴をぬいで裸足になる。やわらかくあたたかい土。前日の雨のしめり気と、虫や植物の息づかいを、足の裏に感じる。

 かぶ、にんじん、長ねぎ。収穫しながら歩く。ときどき、土を落として、その場で野菜にかじりつく。とれたての野菜は、身は生きていて、水は澄んでいて、まじり気のない深く透明な味がする。普段は生野菜を食べない子どもも、ぽりぽりかじりながら歩く。水菜、ルッコラ。収穫そっちのけで、つまみ食いばかりしている。味わったことのないルッコラの香りにおどろいて、どんな料理に使おうか、あれこれ考えをめぐらせる。

 昼食を終え、畑に寝ころんで昼寝をする。土はやわらかく、植物の根はつよい。子どもは土をほじくり返し、まるで寝る気配がない。近くで行われている航空ショーの飛行機の編隊が、轟音で空を横切っていく。子どもの手がとまり、立ちあがって頭上を見あげる。興奮気味に飛行機をながめ、また職人のように土堀りをはじめる。隊列からはなれた一機が、空に大きな円を描いて飛び去っていく。

 袋いっぱいになった野菜と、疲れ果てて眠りこむ子どもをかついで家に帰る。農園の主は、土や種について哲学のように話す。なぜ無形物の光から、植物が育ち、有形の土になっていくのか。風で飛ばされた土はどこへいき、そして、なぜ土がなくならないのか。あらゆるものはつながっているという自らの確信を、野菜や土を通じて解きあかそうとしている。先日、ふとした会話から、彼と晴れ晴れさんがつながっていたことを知る。おいしさとていねいさでつながったご縁。その輪のなかに自身もいられたことが、とてもうれしく、とてもありがたく、とてもしあわせに思う。

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