何年かまえから、部屋にクモが住みついている。ときどきベッドルームの天井にあらわれ、リビングの壁を這い、仕事部屋で右手をかすめて歩いていく。何ヶ月も見ないと思ったら、ふと戸棚のかげから顔をだす。ずっとおなじクモなのか、親子で住みついているのか、まったく違うクモなのかは分からない。気ままな歩みをぼんやりとながめながら、外に逃がすこともなく、なんとなくそのままにしている。
クモを目で追いかけていると、これまで見えていなかったものに気づく。卵のかたちをしたちいさな壁紙のはがれ、カーテンをとめる木製ボタンの糸のほつれ、家具のすき間に落ちていた使いかけのマスキングテープ。足元をたしかめながら、行き先に思いをめぐらせながら、そのゆるやかな歩みのはやさは、見すごしていたものへ視線を導いていく。
散歩の途中、クモのまねをして足をとめてみる。生垣のひと部分が、ぽつりと明るく若い緑になっていて、クモの糸がからまっている。持ち主のいない透明の糸くずに、枯れ葉やほこりが絡みつく。ぱらぱらと雨粒がおち、夕方のチャイムがはじまる。